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祇園祭2024の混雑状況!山鉾巡行がゆっくり楽しめる穴場スポット7選

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京都には「京の三大祭」と呼ばれるお祭りがあります。

5月に開催される葵祭、10月に開催される時代祭、そして日本三大祭にも数えられる7月に開催される祇園祭です。

 

今回はそんな京の三大祭の中の一つ、祇園祭について興味を持っているあなたに向けて混雑状況や穴場スポットなどをご紹介したいと思います。

 

京都の夏は祇園祭から始まるとも言われている祇園祭。

ぜひこの記事を最後まで読んで参考にしてみてください。

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祇園祭の混雑状況

祇園祭といえば日本三大祭の一つでもある大人気のイベントで、7月1日から月末まで1ヶ月間開催されます。

 

例年7月中烏丸四条〜東大路通の間は基本的に混雑するので、2024年も混雑が予想されます。

特に混雑するのが目玉とも言える山鉾巡行

 

山鉾巡行は7月の17日に行われますが、その前日、前々日は宵山と呼ばれ烏丸通りや河原町通り、四条通りが歩行者天国となります。

 

カレンダーで見てみると、2024年は15日が祝日のため、この日が一番混雑するのではないでしょうか?

 

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祇園祭は夜の方が混雑する!?

基本的には休日に宵山や山鉾巡行が重なる日は、昼も夜も関係なく一日中多くの来場者で賑わうイメージです。

 

山鉾巡行は17日の前祭、23日の後祭と二回ありますが、特に前祭では宵山も含めて屋台の出店がありますので非常に混雑します。

 

室町通や新町通には屋台も立ち並ぶため、こちらも大変な混雑が予想されます。

 

屋台は9時頃から23時頃まで出店されますが、やはり昼よりも夜の方が人手も多いため、特に子ども連れでの観覧には相当の覚悟が必要になると言えるでしょう。

 

また夜の屋台はお酒類の販売も手伝って酔客も多く見られるので、家族連れでじっくり楽しみたいのであれば昼の方がいいのではないでしょうか。

 

 

祇園祭の混雑回避の方法は?

続いてはそんな大人気、混雑すること間違いなしの祇園祭を少しでも混雑を回避する方法をご紹介したいと思います。

 

言ってしまえば前祭の山鉾巡行、宵々山、宵山の屋台が出て一番混雑する日を避けて遊びに行くのが一番の混雑回避方法です。

 

しかし、やっぱり祇園祭の目玉と言えば前祭のその3日間になります。

一番盛り上がるタイミングを味わいたいのであれば、混雑を覚悟して参戦するしかないでしょう。

 

7月上旬であればそこまで混雑しない、というのが地元民の考え方ですが、近年はインバウンド需要が高まり、7月上旬であってもたくさんの観光客が祇園祭を目当てに訪れます。

 

浴衣で歩く方もかなりいますので、歩く速度も遅く、どうしても混雑は生まれます。

 

同じく、前祭の山鉾巡行が終わり、7月の下旬もまた少し混雑状況は落ち着きます。

が、こちらも観光客は増えているので注意が必要です。

 

前祭の山鉾巡行、宵山の日に遊びに行くのであれば、西院や桂から京都の北の方、北山に向かう迂回ルートであれば少しは混雑を回避できます

 

 

【祇園祭】山鉾巡行の穴場スポット7 選

次に紹介するのはそんな混雑が予想される祇園祭の山鉾巡行の穴場スポットです。

こちらを気にされている方も多いかと思われます。

 

山鉾巡行では各山鉾町の山鉾が23基巡行されるのですが、その先頭をいく「長刀鉾」、雅に通過する「函谷鉾」、山鉾最重量でもある「月鉾」、ひとまわり小さな曳山「岩戸山」、それから「船鉾」、山鉾巡行の一番後ろ、最後尾につく「放下鉾」、四条室町上ルで見られる「菊水鉾」、以上の7基がいわゆるミーハーでない山鉾のため比較的穴場と言えるでしょう。

 

長刀鉾(なぎなたほこ)

長刀鉾は、その名が示す通り、先端に大きな長刀を装着していることから名付けられました。

 

この長刀は、元々は疫病や悪を払う力があるとされ、過去には三条小鍛冶宗近の作ったものが使用されていましたが、現在展示されているのは1522年に三条長吉によって作られた長刀の複製です。

 

 

この鉾は「くじとらず」という名でも知られ、毎年の祭りで常に先頭を務める重要な役割を持っています。

 

また、現在ではこの鉾にだけ子供が乗ることが許されており、伝統的な行事の一環として非常に特別な扱いを受けています。

 

長刀鉾の中心部には「天王座」と呼ばれる場所があり、ここには和泉小次郎親衡が着用していたとされる衣装を身にまとった人形が祀られています。

この人形は、過去の武将の装束を忠実に再現したもので、見る者に歴史の一端を感じさせます。

 

鉾の屋根裏には、金地に百鳥が描かれた絵があります。

この絵は1779年から1843年に活躍した松村景文によるもので、彼の繊細な筆使いが光る作品です。

 

また、鉾の装飾には、片岡友輔による木彫りの彩色彫刻も施されており、これには三条小鍛冶宗近が神剣を造る場面や厭舞(よけまい)と呼ばれる伝統的な舞のシーンが刻まれています。

 

鉾には、16世紀から18世紀にかけてのペルシャ、中国、インドの希少な絨毯が飾られていましたが、現在はこれらの絨毯の復元品が使用されています。

 

特に胴懸け部分には、様々な花や動物、図案が織り込まれた絨毯が展示されており、その美しさが鉾の価値を高めています。

 

また、鉾の下部や幕には、新しく復元された雲龍波濤文様の綴織が用いられており、2008年にはこれらの部分が全面的に新調されました。

 

このように、長刀鉾はその装飾の豪華さと歴史的意義において、見る人々に深い印象を与える存在です。

 

函谷鉾(かんこほこ)

函谷鉾の名前は、中国の戦国時代に起こった有名な話に由来しています。

その話では、孟嘗君という人物が鶏の声のおかげで函谷関という場所から逃げ出すことができたとされています。

 

 

函谷鉾の先端には月と山の形があり、これは深い山中の暗闇を表現しています。

 

鉾の中心部に位置する「天王座」には孟嘗君の像が置かれ、その足元には雌雄の鶏が配置されています。

これらの配置は、孟嘗君の伝説を視覚的に再現しています。

 

鉾の屋根裏部分には金地に鶏と烏が描かれた絵があり、この絵は今尾景年という画家の作品です。

彼の生涯は1845年から1924年までで、その繊細な筆使いが絵に表れています。

 

鉾の前部には16世紀末の旧約聖書創世紀の場面が描かれた毛綴があり、この貴重な文化財は2006年に復元されました。

 

さらに、函谷鉾には複数の美しい絨毯が装飾として使用されています。

水引部分には山鹿清華による手織りの群鶏図があり、胴懸け部分には17世紀の朝鮮時代の絨毯が含まれています。

 

この絨毯には梅と虎が織り込まれており、他にも花文様のインド絨毯や玉取獅子図の中国絨毯が飾られています。

 

鉾の後部には、かつて弘法大師の筆と伝えられる金剛界礼懺文があり、この古文書は1830年代に模織されたものが現存しています。

 

また、最近では皆川泰蔵による「エジプト天空図」という新しい作品が加えられました。

 

この函谷鉾は1788年の大火で一度失われましたが、50年後の1839年に再建されました。

その際、「嘉多丸」という名前の子供の人形が用いられるようになり、以降の祭りでこの人形が特徴的な役割を担っています。

 

これらの要素が合わさって、函谷鉾はその歴史的な背景と美術的価値を通じて、多くの人々に感銘を与える存在となっています。

 

月鉾(つきほこ)

月鉾は、その名前が示す通り、鉾の先端に新月の形をした装飾が付けられており、この特徴がその名前の由来です。

 

 

この月鉾の中央部には「天王座」と名付けられた場所があり、ここには月を神聖視する神様が祀られています。

その神様の像の下部には雌雄の鶏が配置されており、伝統的な装飾とされています。

 

月鉾の歴史は古く、最初の鉾頭には1573年に作られたものに「大錺屋勘右衛門」と刻まれている刻銘があります。

 

また、1714年の鉾頭も存在しますが、1981年からは田辺勇蔵氏の寄進により18金製の新しい鉾頭に交換されています。

 

月鉾の屋根裏には、1784年に円山応挙によって描かれた金地に彩色された草花図があり、その繊細な描写は見る者を魅了します。

 

また、天井部分には1835年に地元住民である岩城九右衛門によって描かれた金地に源氏物語の五十四帖を扇面に散らばせた図があり、その豊かな色彩と細かなディテールが特徴です。

 

鉾の破風には左甚五郎の作と伝えられる彫刻が施されており、その技術の高さがうかがえる優れた作品です。

 

また、鉾に使用される金具類には、松村景文が関わった下絵に基づいて作られた華麗なものが多く、鉾全体の美しさを一層引き立てています。

 

前懸と後懸には豪華なインド絨毯が使用されており、胴懸にはインドやトルコの絨毯が採用されています。

 

特に北面の「中東蓮花葉文様」は2010年に、南面の「幾何菱文様」は2011年にそれぞれ復元新調されました。

 

近年では、下水引に皆川月華による花鳥図が新しく設置され、見送にも同じ作者による湖畔黎明図が用いられています。

 

これらの新しい追加は月鉾の伝統的な美しさを現代にも継承しています。

また、前懸のインド絨毯も2000年に復元され、これによって月鉾の華やかさが一層増しています。

 

岩戸山(いわとやま)

岩戸山は、日本の古い神話に基づいて名付けられた山車です。

この伝説では、天照大神が岩戸に隠れ、その出現を描いています。

 

この山車は、室町時代に描かれた屏風絵にも登場し、車輪が付いた山車として表現されています。

 

 

岩戸山の特徴の一つは、屋上に本物の松の木が立てられていることです。

 

 

また、天照大神、手力雄尊、伊弉諾尊の三体の神様の人形を飾っています。

 

天照大神は白い衣を身にまとい、胸には鏡がかけられています。

手力雄尊は白い衣装に唐冠をかぶり、伊弉諾尊は屋根の上に設置され、太刀を持ちながら天の矛を突き出しています。

 

屋根裏の装飾には、金地に草花が彩色された美しい絵があり、これは1845年から1924年に活躍した画家、今尾景年による作品です。

 

前後の軒裏には金地に鶺鴒が描かれた図があり、これは彼の弟子である中島華鳳によるものです。

 

下部の装飾には、鳳凰が描かれた瑞華彩雲岩と波文様の織物があり、これは2003年に復元されました。

 

その他、緋羅紗地に宝相華文様が刺繍された水引や紺金地に雲と唐花文様が綴じられた水引も、2005年に復元されたものです。

 

前懸には玉取獅子図が描かれた中国の絨毯が使われ、胴懸には唐草文様のインド絨毯が採用されています。

 

旧前懸として保存されている17世紀の朝鮮製毛綴には、玉取獅子、鳳凰、虎、鶴の文様が描かれており、非常に貴重なものです。

 

見送の部分には、日月龍唐子が遊ぶ図の綴織が使われており、一部は刺繍で施されています。

 

その他、皆川泰蔵による「ヴェネチア図」や2011年に新調された天井幕「白茶地五彩瑞雲文様」も特徴的な装飾として岩戸山を飾っています。

 

これらの美しい装飾は岩戸山の歴史と文化の豊かさを物語っています。

 

船鉾(ふねほこ)

船鉾は、日本の伝統的な祭りに登場する船の形をした山車で、神功皇后の伝説に基づいてデザインされています。

 

 

船鉾は船の形をしており、舳先(船の前部)には金色で鷁(しぎ)と呼ばれる鳥の形をした装飾が施されています。

 

艫(船の後部)には黒く光る漆塗りの中に螺鈿(らでん)で作られた飛龍の模様が描かれた舵が取り付けられています。

 

さらに、船の両端には朱色に塗られた高い手すりが設置され、屋根は唐破風入母屋造りという特徴的な形状をしており、赤白の長い吹流しや旒(りゅう)が風に舞います。

 

船鉾の最上部には神功皇后と彼女を守る三神、磯良、住吉、鹿島の像が安置されています。

 

神功皇后の像は神面をつけた緋縅(ひおどし)の軍装を身に纏い、神々しい姿をしています。

その背後には鹿島明神が、舳先では磯良が住吉明神に龍宮から持ち帰った満干珠(まんかんじゅ)を捧げている様子が表されています。

 

神功皇后の神面は1444年から1448年に作られたもので、古来から安産のご利益があるとされ、宮中でも非常に尊敬されています。

 

明治天皇が生まれた際には、この面が宮中へと運ばれたことが記録されています。

神功皇后の像に巻かれた岩田帯は、祭りの後に妊婦に授与され、安産のお守りとして大切にされています。

 

衣装についても特筆すべきで、神功皇后の装束の水干は金地に菊花文様の唐織で、大口袴は白地に御簾文様の金襴で、これらは2010年に新調されたものです。

 

船の前後の鳥の装飾品、鷁は1751年から1764年の間に作られたもので、船尾の舵は1792年に作られました。

 

船鉾の下部にある水引の雲龍図肉入刺繍の下絵は西村楠亭が1775年から1834年の間に描いたもので、非常に価値のある作品です。

 

2009年には船の手すり部分が新しくされ、より鮮やかな装飾が施されました。

これらの装飾は船鉾の見どころの一部であり、伝統と芸術の融合を見ることができます。

 

放下鉾(ほうかほこ)

放下鉾は、その名前が示す通り、鉾の中心に位置する「天王座」に放下僧の像を設置していることに由来します。

 

 

放下鉾のデザインの特徴は、日、月、星の三つの光を象徴する形状が鉾の先端にあり、これが下界に光を照らしている様子を表しています。

この形は洲浜を連想させるため、「すはま鉾」とも呼ばれています。

 

元々は生稚児が鉾の上で踊る役割を果たしていましたが、1934年からは生の子供ではなく稚児人形に置き換えられました。

 

この人形は久邇宮多嘉王殿下によって「三光丸」と命名され、稚児舞ができるように特別に作られています。

 

放下鉾は明治時代の中期に大きな改修を受け、胴組、天井、柱、屋根などが全面的に改装されました。

また、金具類も段階的に更新されています。

 

破風の正面には、幸野楳嶺の下絵を基に高浮彫で作られた三羽の丹頂鶴が装飾されており、これは1917年に完成しました。

 

下水引に関しては、元々は与謝蕪村の下絵に基づく琴棋書画図でしたが、1994年からは栂尾高山寺にある国宝級の華厳宗祖師の絵伝を元にした綴織に変更されています。

 

三番水引の青海波とおしどりの図綴織は駒井源琦の下絵に基づくもので、現在はその復元品が使われています。

 

前懸と胴懸には花文様のインドやペルシャの絨毯が飾られており、豊かな色彩と細かなデザインが特徴です。

 

見送り部分に使用されるのは1828年に京都西陣で製作されたもので、これも高い芸術価値を持っています。

 

旧胴懸として保存されている16世紀の朝鮮製毛綴には、玉取獅子、牡丹、鶴の文様が描かれており、これも貴重な歴史的遺産です。

 

2010年には天井幕「四季草花図」が新調され、柴田是真の原画に基づいています。これらの装飾は放下鉾の歴史的および文化的な価値を高め、見る人々に深い印象を与えます。

 

菊水鉾(きくすいほこ)

菊水鉾は、地元の古い井戸「菊水井」からその名がつけられています。

 

 

菊水鉾の最も特徴的な部分は、先端に装飾された金色の透かし彫りの菊花です。

鉾の中心部に位置する「天王座」には、長寿と知恵の象徴である彭祖の像が祀られています。

 

この菊水鉾は元治元年(1864年)の戦火で完全に焼失しましたが、1952年に地域住民の努力により再建プロジェクトが始まり、翌年に完成しました。

 

稚児人形は伝説の枕慈童を模しており、菊の露を飲んで長寿を保ったという物語を体現しています。

この人形は能の衣装を着ており、舞を表現する姿で鉾に設置されています。

 

菊水鉾の屋根は唐破風造りで、屋根飾りとして海老名峰彰による鳳凰の懸魚が施されています。

これにより、他の鉾とは異なる独特の外観を持っています。

 

さらに、菊水鉾の軒下には美しい翠簾が掲げられており、これも他の鉾には見られない特徴です。

 

1954年には皆川月華によって作られた唐獅子図の胴懸けと飛鶴図の前懸けが加えられ、翌年には同じく月華による豪華な孔雀図の見送りが完成しました。

 

その後も菊水鉾は芸術作品の追加を続け、山鹿清華による下水引や皆川泰蔵による二番水引が装飾されました。

 

1958年には三輪晁勢の筆による天井絵が施され、近年では小林尚珉による錺金具の製作が行われました。

 

さらに、晁勢による天水引や月華による下水引、岩澤重夫による深山菊水図の綴織見送りが新たに加わり、菊水鉾の装飾は更に豊かになりました。

 

これらの装飾の追加と更新により、菊水鉾はその華やかさと歴史的意義を増し続けており、「昭和の鉾」としてその重要性と美しさを示しています。

 

年々に渡るこれらの装飾の充実は、地域文化の継承と発展に寄与しています。

 

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山鉾巡行の穴場の鑑賞ルート

もし京都の山鉾巡行を歩いて楽しみたい場合、四条通りの一本北にある「錦小路通り」や一本南にある「綾小路通り」、そしてそのさらに南に位置する「仏光寺通り」を歩くといいでしょう

 

これらの道は、四条通りよりも人が少なく、巡行をゆっくりと見ることができます。

 

特に、これらの道では周囲が少し静かになるため、山鉾巡行の美しい装飾や伝統的な雰囲気を落ち着いて楽しむことが可能です。

 

このルートを選べば、混雑を避けつつ、京都の夏の一大イベントを存分に味わうことができます。

 

 

祇園祭のアクセス方法

祇園祭は京都市内、四条通りを中心に広範囲で開催されますが、八坂神社のお祭りです。

 

八坂神社

 

 

電車でのアクセス

京都駅から市営地下鉄烏丸線で四条駅下車

 

バスでのアクセス

京都駅から祇園祭用の臨時便が増便されいます。

バスターミナルから八坂神社方面バスに乗ってください。

 

車でのアクセス

四条通り付近は渋滞もしくは交通規制により近付くことができません。

また京都駅から行く場合、五条通りより北は「烏丸~河原町周辺」には行くことが出来ないので注意が必要です。

 

祇園祭の渋滞や混雑

毎年7月になると祇園祭の交通規制情報が発表されます。

特に五条通より北側、御池通より南側のエリアについては、交通規制により大規模な交通渋滞が発生します。

 

毎年他府県ナンバーは、それと知らずに車で訪れ渋滞を発生させていますので本当に注意してください。

 

地元民はその時期に四条界隈には車では近づかないようにしています。

またバスも電車も超満員になること間違いなし。

 

初めて祇園祭に来られる方はその人だかりに驚かれると思います。

なるべく時間に余裕を持って参加してくださいね。

 

祇園祭の駐車場事情

祇園祭が開催される四条通周辺は京都でも一番の繁華街。

なので駐車場は烏丸通りから河原町通りなど本当にたくさんあります。

 

ただし、そうした駐車場があるエリアには車ではほとんど近寄ることができません。

また万が一運が良くて停めることができたとしても、今度は出庫が出来ないなんて危険性もあります。

 

各エリアにコインパーキングがたくさんありますが、収容台数にはばらつきがあるので「ここなら確実に停められる」という駐車場はありません。

 

さらに祇園祭り時には基本的にどの駐車場も最大料金が無くなります。

 

多少不便ではありますが、例えば京都駅付近に車を停め公共交通機関やタクシーを使い近くまで行くか、もしくは五条通り辺りから徒歩で行く方が賢明です。

 

一応駐車場の穴場を挙げておくと、四条大宮よりも西側のエリア、西院に駐車して歩いて行くか、もしくは西院駅から阪急に乗り河原町まで向かうという手もあります。

 

そうしたコインパーキング事情ですが、そもそもコインパーキングもかなり高めの駐車料金が設定されているので、おすすめとしてはやはり公共交通機関を利用しての参加です。

 

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まとめ

祇園祭は日本を代表するお祭りだけあって、毎年本当に多くの人で町は溢れかえります。

 

完璧に混雑を避けるというのは難しいかもしれませんが、そんな雰囲気も含めて祇園祭。

ぜひその混雑っぷりをその身で体感してみてください!

 

ただ本当に車で来場するのはおすすめできません。

なるべく公共交通機関やタクシーを利用した方が後悔なく済むかと思います。

 

それでは今年の夏は祇園祭で京都を満喫しましょう。

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