「京都の人は腹黒い」「京都人は性格が悪い」このような噂を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
おしとやかで和を尊ぶ京都の人は(かなり良く言えば)無駄な争いを避けるため、本音を隠し婉曲的に意見を伝える。そのせいで「遠回しに嫌味を言う人たち」なんてイメージを持たれてしまっているのです!
今回はそんな京都人の性格について気になっているあなたに向けて「京都人の帰れのサイン」についてご紹介したいと思います。
ネット上で話題になっている帰れのサインと、そのことについて実際に京都民はどう思っているのか。ぜひ最後まで読んで参考にしてみてください。
京都人の帰れのサイン3選
- お茶を出す
- コーヒーを出す
- 時計を褒める
それぞれ見ていきましょう。
その1 お茶を出す
「京都でぶぶ漬けを出されたらそれはもう帰れという意味」こんな話を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。
ぶぶ漬けとは簡単にいえばお茶漬けのこと。
長居した相手に〆のお茶漬けを提供することで暗に「もうそろそろ帰る時間ちゃいますか?」と伝える京都人ならではの奥ゆかしいやり方です。
こちらは有名な話なのですが、実際ぶぶ漬けを出す場面というのは正直京都でもないと言えます。
その代わりネットで見られるのが「京都の人がお茶を出す=帰れのサイン」という説。
京都ではお茶を出されたら帰れのサインだから飲んではいけない、などと言われていますね。
「え、そんなルールあるの?京都の人って怖い、性格が悪い」などという意見が見られますが、よく考えてみてください。
ちょっとした立ち話のつもりが思わず長居してしまった、話が盛り上がってすっかり夜になってしまった、こんな時に「もう遅いからそろそろお開きにしましょ」などと直接伝えては角が立つと思いませんか?
そんな時に「お茶でも入れましょうか?」ということで「あ、お構いなく。えろう長居してすんまへん」という流れになる。
とても平和的じゃありませんか。
実際、そろそろ帰ってほしいという気持ちをストレートに伝えるのは難しいですよね。
私自身京都に生まれ京都に育ちましたが、それこそ「お茶でも入れましょうか?」とは言ったことはないものの「明日も仕事早いですよね」という風にやんわりと「もうそろそろお開きにしましょうか」というニュアンスで伝えることは多々あります。
「お茶でも入れましょうか?」は、そんな京都人の優しさにあふれたフレーズと言えるのではないでしょうか。
その2 コーヒーを出す
続いては京都人による「コーヒーでも入れましょうか」が帰れのサイン説について。
これは言ってしまえば「お茶でも入れましょうか?」の同義語です。
とある関西ローカルの情報番組で取り扱われて大きな話題となったこの「京都の人にコーヒーを出されたら問題」。
どんな内容だったか紹介しましょう。
京都人にコーヒーをすすめられました。
飲んでいいのは1つだけ。どれが飲んでもいいパターンでしょうか?
①コーヒー飲まはりますか? ②コーヒーでよろしい? ③そない急がんでもコーヒーなと一杯あがっておいきやす ④ノド乾きましたね コーヒーでもどないです?
どうでしょうか?
あなたはどれが飲んでもいいパターンか分かりますか?
正解は…②番ですね!
これがすぐに分かるのは京都人だけなのでしょうか。
②番は飲み物をいれることは決定していて、コーヒーでもいいか?という確認をしているだけです。
①番と④番は「ノドも乾くくらいえらい長い間喋ってはるね。もうそろそろ帰ったらどないです」という意味が込められています。
③番は帰ろうとしている人に「ほなさいなら」と済ますのでは相手に「はやく帰ってほしかったのかな?」と思わせてしまうかもしれないので、一応引き止める言葉をかける、という気配りのなせる一言ですね。
ご馳走になることが決まっていても会計の時には一度財布を出し自分も支払う素振りを見せる、相手が「いやいや、ここは私が支払うから」と言ったのちに「ご馳走になります」とお礼を言う、こうしたやり取りはみなさんもやるのではないでしょうか?
それと同じ、いわゆる社交辞令というやつですね。
そう考えると、京都の人がなにも意地悪でコーヒーを勧めているわけではない、ということが分かるのではないでしょうか。
一見すると①〜④まで全部コーヒーを単純に勧めているように見えますが、こうして解説を読んでみるとまったく異なる性質ということが分かりますよね。
その3 時計を褒める
次にご紹介する京都人の帰れのサインは「時計を褒める」です。
これも有名ですね。
京都人に「いい時計してはりますな」と腕時計を褒められたときに「ありがとうございます」などと返してはいけません。
「いい時計してはりますな」は「あんたのそのご自慢の腕時計は飾りどすか?時間確かめてみなはれ。もうずいぶん長いこといてはることに気付きまっしゃろ」という意味が込められているのです。
お茶やコーヒーと同じく、長居する相手を傷付けないよう腕時計というアイテムを利用して暗に伝えるというこれまた京都人の気配りのなせる技です。
ただ実際に京都の人が時計を褒める場面はそうそうないかと思われます。
一種の都市伝説のようなものですね。
とは言え、「三代住んでやっと京都人を名乗れる」とも言われている京都。
私は京都生まれ京都育ちではありますが、二代目なのでそういう意味では真の京都人ではありません。
もしかしたら真の京都人は今でも時計を褒める、という帰れサインを日常的に使ってるかもしれませんね。
表面上は褒めていても実は遠回しにけなしている、このことを「いけず」と言います。
ちょっとしたいけずで帰れのサインを伝える、つまりいけずは性格の悪さではなく粋なはからいというものです。
ところがこの「褒める=裏がある」、いけずという京都人の性格には大きな弊害があります。
それは「本当に褒めてるのに勘ぐられてしまう」ということです。
以前、他府県出身の友人と会った時に香水のいい香りを漂わせていたので「ええ匂いやね」と伝えたところ「ごめん、ちょっと香水振りすぎたかな」と謝られたのです。
彼は京都人の会話に心得があったので「ええ匂いやね」=「えらいきつい香水使ってますなぁ、鼻がひん曲がりそうやで」と解釈したんですね。
このように京都人であっても褒める時は褒めるのですが、裏を深読みされてしまうことがあるのです。
そんな時は会話の前後や関係性からうまく真意を汲み取ってほしいと切に思います。
こう書いていると京都人との会話はめんどくさく感じますね。
まとめ
今回は京都人との会話で気をつけるべきあれこれを紹介させていただきました。
一見すると「京都人てなんて陰湿」「京都の人との会話は疲れそう」なんて思われそうですが、ここは一つ、高度な会話術だと思っていただきたいところ。
実際京都は先程も書きましたが「三代住んでやっと京都人」や「洛中に住んでこそ京都」といった閉鎖的・保守的な気質にあふれています。
遠回しな表現はブリティッシュジョークに似た性質かもしれませんね。
国内にいながら異文化を味わえると思えば楽しくなってきませんか?
ぜひ京都の人との会話を楽しんでみてください。「今の発言にはなにか真意が隠されているのか?」と探してみるのもなかなか面白いかもしれませんよ。